FC2ブログ

jennifer_silk photographs

3.11南三陸 追悼式 前日

3.11南三陸_9

『3.11南三陸_9』

志津川地区 防災対策庁舎 祭壇

全国各地からたくさんの折り鶴が寄せられています。

  1. 2012/04/23(月) 11:21:12|
  2. 3.11南三陸 2012/03/10
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

3.11南三陸 追悼式 前日

3.11南三陸_10

『3.11南三陸_10』

志津川地区 防災対策庁舎 祭壇


-「6メートルの津波が来ます」
   最後まで放送の南三陸町職員の死を悼む-

「早く高台に避難してください」
津波到達の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた後、
行方不明になっていた女性の遺体が発見された。

津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町職員、遠藤未希さん(24)。

母親の美恵子さん(53)によると、未希さんとみられる遺体は4月23日、
捜索隊が志津川湾で発見した。

昨年7月に結婚した夫(24)がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、
右肩にあざがあったことなどを夫が遺体の写真で確認。

(2011年05月03日 産経新聞より)


「宮城県内に10メートル以上の津波が」で切れる呼びかけ。

音声は、放送を尚も続けようとする未希さんの声を遮るように
「上へ上がって、未希ちゃん、上がって」


という声で終わっています。

【動画】命救った防災無線 遠藤未希さんの全音声見つかる


【動画】町を救った南三陸町の防災無線 遠藤未希さん


  1. 2012/04/23(月) 11:20:44|
  2. 3.11南三陸 2012/03/10
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

3.11南三陸 追悼式 前日

3.11南三陸_11

『3.11南三陸_11』

志津川地区 防災対策庁舎 祭壇

歌津中学校野球部でコーチをしていた三浦さんへ
子供たちからのメッセージがアンダーシャツに書き込まれています。

防災無線放送の呼びかけは62回。
このうち18回は課長補佐の三浦毅さんが行っていたそうです。

志津川地区は遠藤さん、歌津地区は三浦さん担当という
情報も目にしました。

三浦さんは今も行方不明です。


「6メートル強の津波が予想されます。早く逃げてください」

地震直後、同町危機管理課課長補佐の三浦毅さん(51)は
後輩に代わって防災無線のマイクに向かい、声を張り上げた。

「もう逃げろ」と同僚が袖を引っ張ったが、
毅さんは「あと一回だけ」と放送室を離れず、その後見えなくなった。

無事だった同僚からこの話を聞いた時、妻のひろみさん(51)は
「自分より周囲の人のことを考えるお父さんらしいな」と感じたという。

(2011年03月28日 日経新聞夕刊より)

4:15のところで「みきちゃん、もういいよ」という声­が入っています。
三浦さんではないかということです。
↓

【動画】“高台に逃げて” 命の呼びかけ
 南三陸町一万の命を救った一人の女性



  1. 2012/04/23(月) 11:20:17|
  2. 3.11南三陸 2012/03/10
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3.11南三陸 追悼式 前日

3.11南三陸_12

『3.11南三陸_12』

志津川地区 防災対策庁舎 祭壇

たくさんの折り鶴、寄せ書き、供花、供物が供えられています。


課長補佐の三浦さんは地震が起きた時、
庁舎2階の放送室で遠藤さんらと避難を訴えた。

約30分後、庁舎にも予想を超える波が来た。
「毅さん、もういいから屋上に逃げよう」。

同僚の勧めに、「もう一回だけ言わせてけろ」と答えた姿が最後に目撃されている。

三浦さんの妻ひろみさん(51)は当時、庁舎から約20キロ北の会社で勤務。
自宅へ戻り、夫の声を聞きながら近くの山へ逃げた。しかし、声は途絶えた。

「逃げたんだ」。そう信じていたが、連絡はつかず、翌朝から、無線は別の声に。
「代わりを頼むような人じゃない」。ぼう然とした。

震災1か月の11日、庁舎で夫の手がかりを探した。

泣きながら「お父さーん」と叫び続けた。
「『いやー、参った』と笑って戻ってくる気がしたのに……。この状態では」。

雨の中、鉄骨がむき出しになった庁舎を見上げ、ため息をついた。

「私だけご飯を食べて、暖かい布団に入って、ごめんね。
声で助かった人も多いと思うよ。お疲れさま」。ひろみさんは声を振り絞る。

遠藤さんも三浦さんと交代するまで、無線で呼びかけを続けた。

(2011年4月19日 読売新聞より)

「避難して」防災無線で呼びかけ続けた2職員 記事


  1. 2012/04/23(月) 11:19:44|
  2. 3.11南三陸 2012/03/10
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3.11南三陸 追悼式 前日

3.11南三陸_13

『3.11南三陸_13』

志津川地区 防災対策庁舎


南三陸防災庁舎、8月にも解体へ
    遺族「残るのはつらい」

町職員ら41人が犠牲となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎が、
8月中旬にも解体されることが9日、分かった。

庁舎は津波被害の象徴となり、現在も献花に訪れる人が後を絶たない。

佐藤仁町長は象徴として震災後、防災対策庁舎を保存する意向を示していた。

しかし、遺族らの強い反発を受けて昨年9月、
「解体せざるを得ない」として方針転換を表明していた。

(2012年04月09日 河北新報より)

  1. 2012/04/23(月) 11:19:18|
  2. 3.11南三陸 2012/03/10
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3.11南三陸 追悼式 前日

3.11南三陸_14

『3.11南三陸_14』

津波で破壊された志津川湾の防波堤


海がそこに見えるのに、潮の香りがしない。
がれきであふれ、ヘドロのにおいばかりが鼻を突いた。

ぬいぐるみや教科書といった生活を感じさせるものは、
あちこちに散乱していた。

でも、1カ月前、ここに人の生活があったということがなかなか想像できない光景だった。

それでも、生まれ育った町で海とともに生きようとする姿があった。

(2011年04月28日 朝日新聞より)

それでも「海と生きていく」 被災の南三陸町を歩く


  1. 2012/04/23(月) 11:18:47|
  2. 3.11南三陸 2012/03/10
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3.11南三陸 追悼式 前日

3.11南三陸_15

『3.11南三陸_15』

地盤沈下により川の水位が上がってしまう
志津川地区八幡川


  1. 2012/04/23(月) 11:18:08|
  2. 3.11南三陸 2012/03/10
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3.11南三陸 追悼式 前日

3.11南三陸_16

『3.11南三陸_16』


志津川地区八幡川


市街地に向かう唯一の幹線となった国道398号では、
地震発生2時間後には、がれきの除去が始まった。

地元の建設会社「沼正工務店」の作業員大山正昭さん(46)が、
津波被害を免れた重機をいち早く持ち込んだ。

翌朝には、幅1.5メートルの通路が確保され、
支援物資の運搬や被災者の避難が始まった。

地震発生時、大山さんは町内の護岸工事現場にいた。
防災無線の大津波警報を聞き、母親を避難させようと急いで自宅に向かった。

橋から見下ろした八幡川は、干潮時のように水が引いていた。
「必ず津波が来る」と確信した。



大津波は町役場はおろか、警察署、消防署をものみ込んだ。
災害対策の指令機能を完全に喪失した南三陸町。

大地震の翌日、いち早く生存者の救出に向かったのは、

町山間部の入谷地区の消防団だった。

街並みを見渡せる気仙沼線の陸橋に差し掛かったとき、
消防団員の佐藤伸さん(32)は奇妙な感覚に襲われた。

「街がなくなっていた。自分がどこにいるのか分からなくなった」

団員は陸橋で志津川病院、志津川中、志津川高の3手に分かれ、
孤立した避難者の救助に向かった。佐藤さんら6人は志津川病院を目指した。

病院の建物に遮られ海は全く見えない。「早く、早く」。
屋上から悲鳴にも似た声が響く。

「まさか(自衛隊より早く)陸から助けに来てくれるとは思わなかった。
これで家に帰れると思った」

誘導の途中、がれきの中で男の子の遺体を見つけた。
靴のかかとにはフェルトペンで名前が記されていた。

「連れて行ってあげたかったが、どうすることもできなかった」。
小さな体に毛布を掛け、手を合わせた。

(2011年06月26日 河北新報より)

宮城・南三陸消防団/指令途絶 それでも前へ 記事


  1. 2012/04/23(月) 11:17:00|
  2. 3.11南三陸 2012/03/10
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
前のページ 次のページ