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陸前高田 高田 2012/04/28

陸前高田_1

『高田小学校の桜とMAIYA』

陸前高田の震災被害を受けた建物は、2013年3月までには
2施設以外は全て撤去されるようです。

このような風景は、今年が最後だと思います。

陸前高田 高田町 地図


検索するたび、被災地の地図が変わって行きます。
地図の役割としては当然の事ですが、とても複雑な思いです。

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  1. 2012/11/09(金) 12:04:59|
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陸前高田 高田 2012/04/28

陸前高田_2

『高田小学校の桜と高田町』


「陸前高田 体育館の解体開始」

陸前高田市の中心部にある市民体育館は、
市の避難所に指定されていたにも関わらず、

去年3月の津波で高さ約16メートルの津波に襲われ、
避難していた市民や市の職員など約80人が犠牲になり、

助かったのは3人だけでした。

助かった3人のうちの1人で当時、市民体育館と棟続きになっている
中央公民館に勤めていた、市の職員、佐々木英治さん(40)は、

8日に現場を訪れ、解体の様子を記録しようと、
ビデオカメラで撮影していました。

佐々木さんは「体育館が解体されることで震災の記憶や
ここで起きた悲劇が忘れ去られるのではないかと心配です。

今後は、避難所は高台に設けて二度と同じような
悲劇を繰り返さないで欲しい」と話していました。

陸前高田市では、道の駅「高田松原」など2つの施設を除き、
津波で全壊した43の施設を解体することにしていて、

市ではすべての施設の解体を来年3月までに終える計画です。


(2012年11月08日 NHKニュースより)


  1. 2012/11/09(金) 12:00:01|
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陸前高田 高田 2012/04/28

陸前高田_3

『高田小学校の桜と高田町』

  1. 2012/11/09(金) 11:46:10|
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陸前高田 高田 2012/04/28

陸前高田_4

『浄土寺の桜と広田湾』

桜ライン311 HP

陸前高田市内約170kmに渡る津波の到達ラインに
10mおきに桜を植樹し、ラインにそった桜並木を作ることで
後世の人々に、津波の恐れがあるときにはその並木より上に避難するよう
伝承していくことを活動としています。
(桜ライン311 HPより)


桜ライン311 桜マップ

ニュースやCMでも取り上げられていましたが、
浄土寺にも桜が植えられています。


  1. 2012/11/09(金) 11:43:11|
  2. 陸前高田 04/28
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陸前高田 高田 2012/04/28

陸前高田_5

『高田小学校の桜と高田町』


「陸前高田市中央公民館/母のいた職場忘れぬ」

「お母さん、また来るからね」。
一関市の会社員鈴木美和さん(32)は14日、津波で被災した

陸前高田市の中央公民館を眺めながら、心の中でつぶやいた。
中央公民館の職員だった母小松博子さん当時(58)が津波の犠牲となった。

震災時、市指定避難所の市民体育館と棟続きの公民館には
多くの市民が駆け込んで来た。

博子さんはぎりぎりまで避難誘導に努め、
そこで津波にのまれたという。4日後に遺体で見つかった。

<壁に思い書き込む>

震災後は陸前高田市内の実家に戻るたびに公民館を訪れていた。
「母と何か話せる気がして」

4月下旬、美和さんは三女の小松佳菜さん(24)と2人で公民館を訪ねた。
そこであることが頭をよぎった。

中央公民館など被災した公共施設を解体する市の計画だ。
「母が最後を過ごした場所がなくなるんだなあ」

美和さんは佳菜さんに提案した。
天国の博子さんへの思いを形に残そうと。

「大好きなおかあさん、天国で私たち家族を見守ってね」
「体育館がとりこわされても この場所の事 絶対に忘れないからね」

2人は建物内の残った壁に、そんな思いを込めたメッセージを書き込んだ。

(2012年08月19日 河北新報より)

  1. 2012/11/09(金) 11:42:01|
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陸前高田 高田 2012/04/28

陸前高田_6

『線路脇の菜の花』

線路脇に一輪だけ菜の花が咲いていました。
線路の跡も、あまり分からなくなっています。


  1. 2012/11/09(金) 11:21:03|
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陸前高田 高田 2012/04/28

陸前高田_7

『浄土寺の桜と体育館・消防本部・図書館』

左手に見えるのは、左手前から体育館、中央公民館、
消防本部、図書館、右手に見えるのは社会福祉協議会。


「悲しみの庁舎、刻む記憶 解体前にお別れ 陸前高田」

岩手県陸前高田市の旧市役所庁舎と
隣接の市民会館が解体されるのを前に、
現地で10日、お別れ式が開かれた。

両施設は東日本大震災の津波で全壊し、
多くの避難住民や職員が犠牲になった。

職員や遺族ら約200人が参加し、犠牲者に黙とうをささげた。

戸羽太市長は式辞で「歴史を刻んだ庁舎は解体されるが、
一日も早い復興を目指し、市民とともに新しい街づくりを進める」と述べた。

一部4階の市役所旧庁舎と3階の市民会館は、
津波で建物のほぼ全体が浸水した。

旧庁舎では屋上に避難した約120人が難を逃れたが、
市民会館に避難した80~90人のうち助かったのは10人程度だった。

市内43の被災公共施設は本年度中に解体される。
旧庁舎は年明けに取り壊される。

◎遺族「区切り付かない」/思い出の場所
/悲惨さ伝えるため/「何か残して」の声も

「まだ区切りが付けられない」。
遺族の一人は建物の前にたたずみ、ぽつりと語った。

解体される陸前高田市の市役所旧庁舎と
市民会館のお別れ式が10日、開かれた。

両施設は東日本大震災の津波に襲われ、多くの市民が犠牲になった。


「家族の思い出の詰まった建物。何か残しておいて」。
震災から1年8カ月。遺族は複雑な気持ちを抱えたままだ。

(2012年11月11日 河北新報より)

  1. 2012/11/09(金) 11:14:46|
  2. 陸前高田 04/28
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陸前高田 高田 2012/04/28

陸前高田_8

『浄土寺の桜とMAIYA』

震災遺構について議論が重ねられています。

震災を二度と思い出したく無いと早急に撤去を求める方、
大切な人が最後を過ごした場所に思いを寄せる方、

震災を風化させない為に残して欲しいと訴える方、
ご遺族の思いも様々です。



「震災遺構 残すか否か/自治体板挟みに」


東日本大震災の大津波で被災した建物などを「震災遺構」として
残すかどうかの議論をめぐり、自治体間の取り組みの違いが際立っている。

保存による津波防災の喚起と、撤去を求める被災者感情との板挟みに
苦慮するケースがある一方で、十分な話し合いがないまま取り壊す例もある。

復興作業は本格化しており、構造物の保存をめぐる判断は
本年度末がタイムリミットになりそうだ。


◎復興本格化迫る期限/遺族感情/防災意識喚起

■「学術的な価値はあるが、町民の心情も重く受け止めざるを得ない」
 3月21日、宮城県女川町で開かれた町復興計画策定委員会。

須田善明町長は、津波で横転した江島共済会館のビルや女川交番などの
建物3棟の保存方針に関し、再検討する姿勢をにじませた。

町は昨年9月に決めた復興基本計画で研究者の意見をくみ、
3棟を保存候補とした。

町中心部にあり、津波の猛威にさらされたままの姿で残る。


建物をめぐっては、住民から「早く撤去して」
という声が多く寄せられているという。


一帯はかさ上げした上で、公園や商業エリアなどになる計画だ。

須田町長は「復興には狭い土地を有効活用しなくてはならない。
3棟は残しにくい」とし、模型展示などの代替案を示唆する。

■宮城県山元町の中浜小は震災時、児童57人を含む
約90人が屋上に無事避難して一晩を過ごした。


町は「防災教育に生かすため、校舎を保存しながら
当時のエピソードも伝えたい」と言う。


■民間の保存要望に、自治体が応えるケースもある。
宮古市のたろう観光ホテルは4階まで津波に襲われ、

1、2階は骨組みだけが残る。
市は保存を目指す関係者への支援に前向きだ。

近くでホテル再建を目指す松本勇毅社長(55)は

「沿岸に生きる限り津波被害は免れない。
この姿を見れば、津波の恐ろしさの説明はいらない」と強調する。


沿岸27市町村のうち16市町は取材に対し、
「被災構造物を保存する考えはない」と回答した。

ほとんどは本格議論をしないまま結論を出した。

■石巻市は3月、津波で2階建ての雄勝公民館の屋上に
乗り上げた大型バスを撤去した。

宮城大調査チームが保存を提案したが、
市の担当者は「被災者感情を優先させるしかなかった」と話す。

宮城県南三陸町の防災対策庁舎や石巻市の大川小など
多くの犠牲者が出た建物に関しては、

遺族の感情に配慮し、正面切って議論しにくいという事情がある。

(2012年05月18日 河北新報より)


  1. 2012/11/09(金) 11:13:51|
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