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川内・毛戸 2014/04/27

川内_2014/04/27_1

シーツが干して有ったり、布団が干してあったり。
宿泊準備の様子を見掛けました。

でも、実際に戻っている家は多くないようです。



川内村の「避難指示解除準備区域」で26日、
住民の帰還に向けた準備宿泊が始まった。

1日に避難指示が解除された田村市都路地区に続き2例目。

最長で3カ月間続けて地区内にとどまり、
自宅の掃除や手入れなどができるようになった。

村は、災害公営住宅の建設や商業施設整備などを急ぎ、
住民の早期帰還を後押しする。

村内には、福島第一原発から20キロ圏内で、

年間被ばく放射線量が20ミリシーベルト以下の
「避難指示解除準備区域」と、

20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下の
「居住制限区域」の2区域がある。

長期宿泊を認められたのは、避難指示解除準備区域に
設定されている村東部地域の一部。

134世帯276人の避難住民のうち、
24日までに18世帯40人が宿泊を届け出た。

1カ月ごとに更新手続きが必要で、親類や知人も
届け出れば宿泊できる。

希望者には線量計も貸し出す。
村は随時、準備宿泊を受け付ける。

これまでは滞在できるのは日中だけで、
夜は避難先に戻らなければならなかったが、

政府は「国による除染が終わった」として、
比較的線量の低い避難指示解除準備区域で制限を緩和した。

3カ月間は、避難指示の全面解除に向けた
準備期間と位置付けている。

(2014/04/27 福島民報より)


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  1. 2014/06/24(火) 16:11:27|
  2. 川内村の春 04/27
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川内・毛戸 2014/04/27

川内_2014/04/27_2

家の前に守り神のように「カエル」の置物が構えている。

川内村では良く見かける光景です。

「無事帰る」ここから「カエル」の置物を置くのは
昔からの事だと地元の方に伺いました。

「カエル」に迎えられる方々が
これから少しずつ増えるのでしょうか。

  1. 2014/06/24(火) 15:49:03|
  2. 川内村の春 04/27
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川内・毛戸 2014/04/27

川内_2014/04/27_3

避難指示解除準備区域の長期宿泊が始まって2日目。

対象地区で人の気配をあまり感じる事が無い中、
やっと人の存在を感じられた「鯉のぼり」の泳ぐ姿。


桜と鯉のぼりのコラボレーションが見られるのは
東北ならではのことです。


  1. 2014/06/24(火) 14:12:48|
  2. 川内村の春 04/27
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川内・田ノ入 2014/04/27

川内_2014/04/27_4

様々な形で春が迎えてくれました。

  1. 2014/06/24(火) 13:25:55|
  2. 川内村の春 04/27
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川内・吉ノ田和 2014/04/27

川内_2014/04/27_5

大熊町との境目。
右折すると直ぐに大熊町です。


空間線量計の値は0.294μSv/hでした。

  1. 2014/06/24(火) 13:24:42|
  2. 川内村の春 04/27
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川内・吉ノ田和 2014/04/27

川内_2014/04/27_6

フキノトウがたくさん顔を出していました。

  1. 2014/06/24(火) 13:17:23|
  2. 川内村の春 04/27
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川内・糠塚 2014/04/27

川内_2014/04/27_7

  1. 2014/06/24(火) 13:15:40|
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川内・五枚沢 2014/04/27

川内_2014/04/27_8

あぶくま更生園の桜と廃棄物


「(2)落ち着ける場所どこに さまよい3年-福島・あぶくま更生園」

日差しが残雪を解かして水たまりをつくり、草花が芽吹く季節になった。
「あぶくま更生園」の利用者が福島県川内村を離れて3度目の春。

入り口を施錠された園の敷地内はブルーシートに覆われていた。

復旧作業で出た放射性廃棄物が、
一時保管のため大量に運び込まれていた。

同園は1988年4月から、この地で重度知的障害者の生活を支えてきた。
畑で野菜を育て、養鶏を営む日々。

入所者は動植物を育てる喜びを知り、生産物の販売を通じ人から
認められる幸福を感じた。

その場所が今、さび付いたドラム缶やタイヤのホイールなどに
埋め尽くされている。

2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を受け、

あぶくま更生園など同じ法人が運営する4施設の入所者約200人は、
落ち着き先を探し、県内外をさまよった。

障害に対する理解が得られずに川内村の避難所から退去を求められた後、
最初に向かったのは同県田村市の通所施設。

薬が不足し、突然意識を失う「てんかん」の発作を4、5人が発症した。
発作を繰り返し、1人が死亡した。

1カ月弱を経て、千葉県鴨川市にある県立青年の家に集団移転した。

ここでも悲劇に見舞われた。男児1人が行方不明になり、
遺体が海で見つかった。

職員も次々に退職していった。

震災当時、あぶくま更生園に勤めていた18人のうち、
現在も働くのは三瓶直人施設長(55)ら3人のみ。

「放射線への不安や被災した家族のために辞める人を
引き留めることは、私にはできません」。

施設長の言葉にはあきらめの気配もにじむ。

12年2月、三瓶施設長はあぶくま更生園の入所者を連れ
、田村市の仮設住宅に入居した。

被災者向けのプレハブ住宅をくし形につなげた建物は、
同園の入所者のために県が“応急仮設施設”として用意した。

一部屋一部屋は狭く、もちろん畑や庭もない。

国庫補助を受け、年内には田村市に新たな施設が完成するという。

しかし建設と引き替えに、国は“将来は川内村に帰ること”を求めてきた。

「障害者施設を地域の人に理解してもらい、認めてもらうには、
数十年の月日がかかる。川内村での努力はすでに無になった。
田村市で地域と交流しても、また川内村に戻るとなると…」

課題が根雪のように残り、入所者に春はまだ訪れそうにない。
気を取り直すように三瓶施設長は言う。

「市街地に近いので関係は築きやすい。
また雪を解かすように交流していきます」

(2014/04/17 静岡新聞より)


↑※記事内の「放射性廃棄物」と断言されている事については
私個人として同調している訳ではありません。


  1. 2014/06/24(火) 13:12:28|
  2. 川内村の春 04/27
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