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宮古・田老 2012/05/02

宮古・田老_1

『田老第一中学校の桜』


傷つきながらも頑張って咲いている姿に
町民の方々も励まされているのではないかと思います。

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  1. 2012/12/01(土) 12:12:11|
  2. 宮古・田老 05/02
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宮古・田老 2012/05/02

宮古・田老_2

『田老第一中学校の桜』


町を歩いていると、山側に桜が少し残っています。
桜は、人々の気持ちを癒してくれます。

少しでも残って本当に良かったと思います。
出来るだけ長く頑張って欲しいと願うばかりです。


【動画】宮古市 津波 2011・3・11


  1. 2012/12/01(土) 12:09:38|
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宮古・田老 2012/05/02

宮古・田老_3

『田老の桜とスーパー防潮堤』


明治(1896年)、昭和(1933年)と続けて大津波による壊滅的被害を受け、
「万里の長城」と呼ばれる長大な防潮堤を築いた。

津波は海面から10mの高さを誇る防潮堤を越え、町を襲った。

  1. 2012/12/01(土) 11:32:49|
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宮古・田老 2012/05/02

宮古・田老_4

『田老の桜と田老野球場の瓦礫』

穏やかな田老の海が綺麗です。
下は東北沿岸部の大動脈、国道45号線(仙台~青森)


  1. 2012/12/01(土) 11:22:01|
  2. 宮古・田老 05/02
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宮古・田老 2012/05/02

宮古・田老_5

『北リアス線の鉄橋と桜』


線路が津波に耐えたのは、
10mの防潮堤が有ったからかもしれませんね。


2011年(平成23年)
3月11日 全線が東北地方太平洋沖地震による災害で不通、津波で島越駅が消失。

3月16日 陸中野田 - 久慈間が営業再開、同区間で復興支援列車の運転を開始。
            3月31日まで運賃無料。

3月20日 宮古 - 田老間が営業再開。
3月29日 田老 - 小本間が営業再開。

2012年(平成24年)4月1日 田野畑 - 陸中野田間が営業再開。
            これにより、未再開駅は島越のみとなる。

2014年(平成26年)4月 小本 - 田野畑間が営業再開予定。

(北リアス鉄道 wikipediaより)


三陸鉄道のやる気と復興への意欲が感じられる再開の早さです。


三陸鉄道HP 路線図


北リアス線は宮古~小本間、田野畑~久慈間で平常どおり運行

小本~田野畑間は岩手県北バスによる連絡バスを運転

南リアス線は東日本大震災により全線で運休
盛~釜石間では岩手県交通の路線バスが運行

(2012年11月7日現在)

  1. 2012/12/01(土) 11:07:53|
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宮古・田老 2012/05/02

宮古・田老_6

『田老第一小学校』


児童は、町の用意したスクールバスで仮設住宅から通っています。


宮古市田老地区 地図


  1. 2012/12/01(土) 10:37:48|
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宮古・田老 2012/05/02

宮古・田老_7

『田老の桜とスーパー防潮堤』


田老町 X字形のスーパー防潮堤 図


「住民主役の知恵忘れ 巨大防潮堤の矛盾」

「万里の長城」の異名を取った、延長2433m、高さ10mの巨大防潮堤。

宮古市は同市田老町の防潮堤を大いに誇り、
「津波防災のモデル」として国内外に名をはせてきた。

だが世界的にも珍しいX型の二重防潮堤は、
今回の津波で新しい部分だけが倒壊した。

同市農業課主査で、7年間防災を担当してきた山崎正幸さんは
「私は将来のまちづくりのために、あえて市の考えとは異なる意見を言います」

と前置きした上で、「田老の津波対策が抱えていた矛盾が、
ここに浮き彫りとなっている」と打ち明けた。


田老地区は1896(明治29)年と1933(昭和8)年の大津波で甚大な被害を受け、
翌34(昭和9)年、防潮堤建設に着手した。

高さは明治三陸津波の15mより低い10mで、それだけでは街を守れない。


だが防潮堤を湾口に対し直角に造ることで津波を沢沿いに受け流し、
避難する時間を稼ぐことを目指した。


内側の市街地は碁盤目状とし、縦方向の道路は全て山に向かって造った。

交差点の角を切って見通しをよくし、
たとえ真っ暗闇でも迷わず高台へたどり着けるようにした。


当時、防災の主役はあくまで住民だった。


だが、時の流れがその知恵を忘れさせた。


60(昭和35)年のチリ地震津波後に建設した新防潮堤は、高さは同じ10mだが、
津波に真っ正面から立ち向かうように、湾口に対し並行に造られた。

二重防潮堤が「二の字型」ではなく「X型」となった理由は、
設計思想が全く異なるためだ。


さらに、旧防潮堤と新防潮堤の間には広い土地が生まれ、
次第に浜小屋が建ち始めた。

平穏な日々が何年か過ぎると家が1軒、2軒と増え、
あとは加速度的に市街地が広がった。

無秩序に延びた道は山に向かず、変形した交差点を何度も
曲がらなければ高台にたどり着けない。

防潮堤が主役となった新たな街が形成されてしまった。

今回の大津波は新旧両方の防潮堤を大きく越えたが、
津波に立ち向かおうとした新防潮堤が一瞬で倒壊したのに対し、


津波を受け流した旧防潮堤は最後まで原形をとどめ、
住民が避難する貴重な時間を稼いだ。

新市街地に住んでいた自営業高屋舗治さん(55)は
「巨大な防潮堤を毎日見ているうちに、絶対に安全と思い込んでしまっていた。

もう誰もあそこに家を建てようとは思わないだろう」と話す。


山崎さんは「田老の津波防災の成功と失敗を、今度こそ忘れてはならない」と訴える。

(2011年05月05日 岩手日報より)


  1. 2012/12/01(土) 09:55:05|
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宮古・田老 2012/05/02

宮古・田老_8


「救われた命、人のため/消防団員・清水川勝美さん=宮古市田老」

◎現場奔走、漁師の心意気

人は一人では生きていけない。
宮古市消防団員の漁業清水川勝美さん(56)は今、つくづくそう思う。

「でば、行ぐべす」。3月26日午前7時半、6人の団員と分団屯所を出た。
法被の下には銀色のかっぱ。仲間内の誰もが知るトレードマークだ。

ポンプ車の後部席に乗り田老の街へ急ぐ。
捜索の現場は分団本来の持ち場ではない。

が、津波によって家が高さ10メートルの防潮堤を越え、流れ着いた。
人の手がいる。

捜索の末、がれきの下からアルバムや記念写真を見つけた。
「地元だから誰の顔かすぐ分かる」。

家の持ち主には、現金、印鑑、証明書類などもあったことを伝える。


「あの人がいながったら助かんなかった」と清水川さんは言う。
3月11日、九死に一生を得た。

宮古市真崎(まさき)海岸沖2キロで養殖作業用のサッパ船に乗り、
コンブの間引きをしていた時だ。

ドン、ドン、ドン、ドン。「変な潮」が流れ、
海底から足を踏み鳴らしたような音が響いた。

三角波が立ち、養殖網が沈む。
網をロープでつないだサッパ船が引きずり込まれ、

出刃包丁で切ろうにも間に合わない。
船ごとひっくり返った。

何とか抜け出そうともがく。
2、3回水を飲んだ。

船外機に足を掛け、船底にはい上がると、声が聞こえた。
別のサッパ船に乗る漁協の仲間、花輪惣一さん(59)だった。

「お~い津波だづうぞ。行ぐべす、早ぐ乗れ」
力が出ない。花輪さんに抱えられて乗り移る。寒い。へたり込んだ。

おかを見ると、北の岬から南の漁港にかけて、しぶきが上がった。
山が見えない。引き波で、材木や浮き球が押し寄せてくる。船を沖に出した。

2時間過ぎ、花輪さんが言った。

「あしたまでいて寒くなれば、あんだの体がもたない。
ここまで助けたんだから、イチかバチか賭けてみっが」

潮が速く、あちこちで渦を巻いていた。
行きつ戻りつして静かな海面を見つけた。

船は何とか岸にたどり着き、歩いて山を越えた。
母サトさん(83)に「おめ生きでたのが」と泣き付かれた。


翌朝、消防団屯所に走った。

津波の直後、田老中心部には火の手が上がり、
炎は地元の集落にも迫っていた。生かされた命を、

世のため人のために使いたかった。
消火活動は三日三晩続いた。


真崎のワカメは日本一だと思っている。
コンブは肉厚でうまい。アワビ、ウニも高値で売れる。

養殖は集落の先輩と父親に教わった。
沖合の養殖の施設は仲間と一緒に組む。

しけで網が切れれば助け合って補修する。
一人では何もできない。それが漁師の世界だ。

そんな仲間が2人、今も行方が分からない。
海を見ると、身を切られる思いがするという。

津波の後、湾や河口の地形も変わり、海底にはがれきが積もった。
「秋にはサケが帰ってくる。どごの川だか分かっぺえが」

朝冷えの被災地を今日も銀色のかっぱが歩く。
鍛えた体と気合は「半端ではねえよ」。

街も海も死んだかのようだが、漁師の意地は生きている。

(2011年04月04日 河北新報より)

  1. 2012/12/01(土) 09:51:37|
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